妊娠高血圧腎症になった話⑥

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自然に陣痛が来るのをひたすら待つ私。

圧倒的な追い打ちの数々。

いつ緊急搬送になるやもしれぬ妊婦の向かいに、産後ママとほかほかの新生児がいる環境。

控えめに言って、地獄です!!!

個室にする財力がなかったのでいたしかたなし。そしてもちろんお向かいさんはなに一つも悪くない。

唯一悪かったのが私のコンディション(精神的・肉体的)のみ。

それもしかたないでしょーが!!

先生から散々自然陣痛を待つよう説明されたものの、私はこの一晩にして、明日からすぐに促進剤の投与をしてもらおうと決意したのでした。

目次

このときの心境

促進剤の投与は、母体にとっても胎児にとっても少なからずリスクがあると説明を受けました。

先生がこのときの私の状況を踏まえたとしても促進剤の投与に至らなかったということは、私の状況<促進剤のリスク、だったわけですね。

医学的にはそうだったのかも知れません。

自分が数時間後にどうなっているかわからない恐怖、緊急搬送のリスク、想定しうるたくさんの問題が不安で不安で、最悪の事態を想像しては怯えていました。

コロナ禍で、誰とも会えず、陣痛が来ても立ち合い不可。自分一人ですべてを乗り越えなくてはならない。二人目の出産なのに、一人目の時よりもずっと不安で孤独でした。

そんな精神状態の中で、同室の方の夜間授乳やおむつ替えが始まり、必然的に私もその物音で夜何度も起きてしまう状況が始まります。いろんなタイミングが良くなかったんだと思います。

(明日からすぐに促進剤を始めてもらいたい。朝、看護師さんに相談してみよう。)

そう考えるものの、自分のわがままのせいで赤ちゃんを危険に晒すような陣痛のおこしかたをしていいのだろかと、考えては決断し、また悩み考え、本当に本当にしんどい一晩だったなと振り返ります。

しかし、あと何日もこの環境のなかに身を置くのは無理だと朝方結論が出してしまったんですね。

最低な決断をしてしまったと、一睡も眠れないまま最悪な朝を迎えたわけです。

今思うこと

長女の出産から早3年。当時のことを振り返って、医学的にあまりよくはかったのかもしれませんが、促進剤をお願いしてよかったと、今なら心から思えます。

赤ちゃんを無駄なリスクに晒す決断をしてしまったと悔やんでいましたが、あのとき・あの状況の自分のストレス度を考えたら、リスクがあったとしても促進剤をお願いして正解でした。

促進剤をお願いしないで、たくさんの恐怖やストレスを感じながら、寝不足で陣痛を待ち続けていたほうが危険だろう、と。最低な判断をしたダメな母親だと自己嫌悪に陥っていた当時の私に、明るく声をかけてあげたいものです。

しかし!昨日あんなにいろいろ説明してくれた先生に「やっぱり促進剤してほちい!!!!」なんて言うのは、めちゃくちゃに勇気がいりました。

くそーーーーーー、旦那が言ってくれーーーーー!!私言うのすんごい気まずいし怒られそうだし嫌だーーーーーーーーー!!!

コロナ禍だから傍にいれないのはしかたないのですが、このときはまじで旦那を呪いました(笑)

悶々としながら、血圧を測りに来てくれた看護師さんに「先生とお話がしたいです…」と蚊の鳴くような声で告げたのでした…。

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※同じ「IgA腎症」であっても、年齢や性別・病気の進行度等により経過は様々です。私の場合の病状・治療経過等を綴っていますので、同じ病気の方すべてに当て嵌まるものではないことを予めご了承ください。

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